鉄の特性や性質を捉え、自在に鋼板を切断する高い技術力と精度
弊社は、鋼板(いわゆる鉄板)を要望に沿った形状に切断する会社です。建築用や造船用など鋼板には様々な規格がありますが、当社は産業用機械設備に用いる鋼板を主に扱います。機械メーカーさんから機械図面をいただいた場合は、それを部品ごとに分解して考え、必要な鋼板の形に切断する図面を作成します。切断する規格や形状が決まると、歩留まり(原材料から得られる想定生産量に対する製品出荷量の比率)を考え、最適な形で鋼板を切り出すためのデータを作成します。それを機械入力し、弊社で保有するレーザー光切断機やガスの燃料熱を利用するガス切断機を用いて、様々な厚みの鋼板を自在に切断します。
弊社の強みとして、機械設備としての稼働領域の広さがあります。長く幅広な鋼板を扱うことができる上、各切断機が並列していますので、同時に多量の生産(切断)が可能です。また、鉄の特性や性質の理解に長けている点も強みです。熱で切断するので、切断の際はどうしても鉄は膨らんで伸び、冷えて縮みます。夏季は気温が高いため、特にその膨張が顕著です。こうした外部環境からの影響を考慮して切断を微調整する技術力がありますので、余幅が少ない高精度の切断が可能です。
先代社長の起業から50年 モノを支えるという仕事の気概と熱量
先代社長である父が諏訪市で起業したことが弊社の始まりです。当初は直線しか切れない簡易的な機械を使って鋼板を切断しておりました。諏訪圏での需要旺盛となり事業規模も大きくなってきたため、株式会社として法人を設立しました。更に生産や運送の拠点を集約すべく、誘致していただいた長和町(当時は丸子町)に大きな生産の居を構えました。
私自身は、大学卒業後に製鉄メーカーに入社し、8年ほど勤務しました。製鉄メーカーではエンジニアリング事業部に所属し、高層ビルなどを手掛ける会社に鉄骨を販売する仕事などをしていました。鋼板もそうですが、こういった構造物を形成する仕事は表舞台で活躍する華やかな仕事とは異なります。ですが、重量物を支え構造物を形成する人達は、自分たちの仕事が陰でモノを支えている、やりがいのある仕事だと、そういう気概や熱量で仕事をしているという風に感じました。その後、30歳の時に製鉄メーカーを辞め弊社に入社し、入社後は現場で切断作業に従事し弊社の技術力を習得しました。
株式会社設立から50周年の節目の年に、私が代表取締役に、弟が専務取締役として就任し、組織が次の世代へと移り変わりました。
創業を受け継ぎ事業を守る「守成」
弊社は今まさに創設期から次の段階へと会社の在り方を問われている真っ最中にあると考えています。例えて言うなら、外側の箱だけはできたが中身が詰まってない状態をどうするか、といった感じです。50年続いた会社を受け継いだ自分が次の50年を担う。100年続く会社を目指すとともに、初代が築いたものをどのようにして3代目に引き継ぐか。会社の規模を大きくするばかりが成功ではなく、いかに現状を維持し充実させるか。維持するために守り続けるという考え方がまさしく「守成」であり私のやるべき事であると自負しています。
また、常に時代の流れ・取り巻く環境に適応できる柔軟な感覚を併せ持つことが大事だと考えます。言わなくても分かるだろうと自分本位にならず、自ら進んで言葉を発信し想いを伝えることが大切で、人材育成や組織の風土づくりにおいて、組織の中身の充実さに重きを置いた会社運営を行いたいです。
「切断なら信濃鋼材」 社会から必要とされ続けること
弊社は鉄を切るという加工以外に、溶接や機械加工といった複合的な加工技術を持ち合わせておりません。であるならば、「切断」という分野に活路を見出し、新たな技術や機械の導入を積極的に進め、鉄以外の特殊金属や樹脂、木材や布まで様々な物質や素材にまで切断範囲を広げられるよう将来を見据えています。「切断なら信濃鋼材」と言われるように、切ることしかできないことを逆手に取り、切ることを極めようと思います。狭いニーズかもしれませんが、それをしっかりと掴み、その領域の中で一番になれるよう、そして何より社会から必要とされ続ける会社を築いていきたいです。そして社員やその家族はもちろん、地域社会にその恩恵を還元できる企業になっていきたいですし、またそれがやりがいや誇りに思えるような、そんな会社にしていきたいです。
会社名 | 信濃鋼材株式会社 |
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事業所 | 本社:〒392-0012 長野県諏訪市大字四賀字砂田通り687-1 (電話)0266-53-3303 支店:〒386-0603 長野県小県郡長和町大字古町字金山516 (電話)0268-68-2222 |
事業内容 | 厚中鋼板の溶断加工 |
外観 | ※写真は、支店である長和町の工場 |
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